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合氣道とは

合氣道とは

日本古来の柔術をもとに集大成された相手を投げる技をはじめとし、様々な体の操りによって技を繰り出す総合武道です。私たちは、合気道創始者である植芝盛平翁に師事していた藤平光一先生によって創見された心身統一合氣道 (公式サイトへ) を学んでいます。

 

どのようなことをするの?

武道の一種と聞いて、柔道のように相手と組んで互いに倒し合う、そのような光景を思い浮かべた方がいるかもしれません。しかし我々が稽古する心身統一合氣道は、お互いがお互いを攻撃して倒し合うというものではありません。

まず、合氣道では「受け」と「取り」という二手に分かれて稽古します。「受け」という相手に攻撃を仕掛ける人の勢いを利用して、「取り」という側が「受け」の関節を極めるなどして身を守ります。スペインの闘牛士をイメージしてみてください。この場合、闘牛は「受け」で、マントで受け流す闘牛士は「取り」です。
力をほとんど使わないので、年齢差や体格、性別の違いが影響を受けにくく、老若男女が生涯を通じて稽古の分だけ上達を目指せる武道です

 

 

技って何?

合氣道にも名前の付いた様々な技が存在します。ここでは技そのものの紹介をすると途方もない文量となってしまうので、共通概念のようなものをお話ししましょう。
先ほど紹介したように、合氣道は柔術を母体としています。柔術では生身の人間が刀を持っている相手からどのようにして体を守ろうか、相手の武器を奪い取ろうかというようなことを考えます。つまり、相手を倒すことよりも、自分を守るという護身を想定した技を行います。これが他の武道にはない合氣道の特色です。そして、そうした想定の根底にあるのが剣の存在です。入部してからしばらくは武器を扱いませんがそのことを意識し、常に間合い、すなわち自分が安心できる距離を保ちます。切りかかってくる相手の武器を奪いながら相手を制する技もあります。

 

 

稽古では何をするの?

柔道の乱取、空手の組手のような試合は合氣道にはありません。攻撃を仕掛け、最終的に受身を取る「受け」と相手の攻撃をかわし、活かして投げる「取り」をあらかじめ決めて行う約束稽古をすることが基本で、安全性も十分確保されています。

 

試合がないと、何を目標にするの?

心身統一合氣道には、それぞれの上達具合を測るために級と段が設定されています。初心者は準5級からスタートし、1級を取得した後、昇段審査で初段を目指します。途中の2級で茶帯を締めることを許され、初段に合格すると黒帯、そして袴の着用が許されます。合氣道部では、一般的に2年程度稽古を積めば初段を認定される練度に到達できます。
また、「年間行事」にある通り、様々な演武の機会があります。演武とはすべての部員が袴を着用し、複数個の技で構成された演技のことです。全国大会も開かれており、稽古の成果を発揮する場が十分にあります。

 

 

力を使わない?

合氣道の前に枕詞のようにある「心身統一」の文字。これこそ我々が常に追い求めているものです。
我々が学ぶ流派は、「心」を大切にしています。武道でもスポーツでも、上達を目指す上で身体の動かし方を意識して練習するのは当然です。そうするうちに「どのように身体を動かせば上手くいくのか」と考えます。しかし、身体の運動への理解は「心」への理解が不可欠です。その両者の乖離を防ぎ、安定して感じ取れるリラックスした状態にあること。これが「心身統一」です。
自分に心があるように相手にも心があります。合氣道として、武道として相手を投げる際も、相手の身体を動かすことばかりを考えているうちは、技は上手くいきません。相手の心から導き投げていきます。その際に相手の心を知ることが重要なのです。
自分の心身の安定、そして相手の心を尊ぶことこそが「心身統一」です。

 

 

合氣道と日常生活

礼儀作法を教えたいから子供に武道をやらせている。こんな話をよく耳にします。合氣道も武道ですから、礼儀作法はしっかり身に付きます。しかしそれだけではありません。
合氣道の中でも自己中心的な技が上手くいかないように、日常生活でも自己中心的な態度は人を動かすことはできませんし、独りよがりな行動は周囲の人々を振り回すことに繋がりかねません。そういったことを防ぐだけでなく、日々の視野を広げることにもつながり、心にゆとりが生まれます。日々の生活や振る舞いに自信を持てるようになれば、周囲に潤いや豊かさを与えられるでしょう。
このように心の質を考える心身統一合氣道は、単なる肉体的な運動だけではなく、日常生活、果ては生き方にまで直結していると言えます。

 

老若男女誰しもが携われる武道

合氣道の魅力として、性別、体格差、運動経験問わず誰でも活躍できるというものがあります。合氣道が上手い人というのは、相手の気持ちを尊重し、その流れを読み取ることに長けている人です。我々とともに稽古することは終わりなき旅路の始まりです。何十年も先輩の卒業生の方々とも一緒に稽古する機会があり、様々な技のヒントや新たな考え方との出会いがあります。食べ物のように旬というものはありません。あなたが合氣道をしているその瞬間全てが連続した旬なのです。

 

 

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